2022年9月26日(月)放送の『最強の城総選挙』。
テレビ朝日「日本全国の歴史の専門家が選ぶ難攻不落の城ベスト20」の順位を紹介します。
あなたにとって難攻不落の最強のお城はどこですか?
テレビで紹介された放送内容をまとめましたのでぜひ参考にしてみてください。
最強の城総選挙ランキングBEST20
「あなたが難攻不落だと思う最強のお城は?」
日本全国の歴史の専門家に一斉アンケート調査を実施!
歴史上、日本に存在した城の数約40000城。
その中から攻撃力が高い・防御力が高いなど「強さ」だけを基準にして選出された「難攻不落の攻めにくい城ランキングBEST20」を大発表します。
番組出演者の1位予想
・太田光(爆笑問題)…熊本城
・田中裕二(爆笑問題)…姫路城
・ウエンツ瑛士…津山城
・ビビる大木…岐阜城
・石原良純…江戸城
・大久保佳代子(オアシズ)…名古屋城
・山崎怜奈(元乃木坂46)…熊本城
・新納慎也…大阪城
・土佐兄弟…江戸城
・宮崎香蓮…熊本城
・本郷和人(歴史学者)…姫路城
地元のお城自慢募集結果
有岡城跡 犬山城 岩櫃城 岩村城 上田城 大阪城 大洲城 忍城 小田原城 春日山城跡 金山城 杵築城 岐阜城 久保田城 熊本城 甲府城 首里城 津山城 姫路城 広島城 福山城 厩橋城 松本城 盛岡城 山形城 米沢城 和歌山城
第20位:月山富田城(島根県)
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どじょうの養殖で有名な島根県安来市にかつてあった月山富田(がっさんとだ)城です。
中国地方を統一間近だった戦国武将の毛利元就が3万の兵で攻め入りましたが、その1/3の兵で撃退したという逸話が残っています。
「七曲り」という山頂まで続くグネグネした道を作ることで敵を疲れさせる効果が。
第19位:彦根城(滋賀県)
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徳川家康が大阪にいる難敵の豊臣家を監視するために作ったお城です。
400年以上も当時の姿で残っている天守は国宝に指定されています。
道をわざと微妙にずらして作ることで「この先に兵士が待ち伏せしている?」と警戒させることを狙ったトラップは、城への接近速度を遅らせる効果が。
さらに階段の段差や幅をわざとバラバラにして坂道を歩きにくくさせるなど、多くの巧妙なトラップが仕掛けられている難攻不落のお城です。
第18位:竹田城(兵庫県)
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兵庫県朝来市にかつてあった竹田城です。
まるで空中に浮かんでいるような雲海に囲まれた景色はまさに絶景の一言。
今では観光スポットとしても大人気で、9月~11月がベストシーズンです。
竹田城のある山には大きくて強度の高い石が多く、防御力の強い強固な石垣を作るのに最適なんだそう。
当時の人たちは「雲海は神の力によって作られ、そして城が守られている」と思っていたそうです。
「山には神がいる」という山岳信仰が根付いていた当時、武士たちも雲海に人間の力を超えたものを感じて恐れをなしていたと考えられていたんだとか。
第17位:春日山城(新潟県)
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新潟県上越市にかつてあった春日山城です。
14世紀に建てられたと言われている上杉謙信のお城。
残念ながら今はその姿はもう残っていませんが、当時は山を埋め尽くすように武士たちが暮らしていたんだそう。
上杉謙信は忠誠心の強いトップ格の武士たちに城に住むように指示し、身を挺して城を守らせていたそうです。
“愛”の兜の直江兼続で有名な直江氏も住んでいたんだそう。
第16位:松山城(愛媛県)
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現存する12天守の一つ、愛媛県松山市にある松山城です。
松山市の中心部に位置する勝山の山頂には21棟もの重要文化財が残されています。
山の上にある松山城は現在は人気の観光スポットになっていて、まるで巨大迷路のような待ち受けるトラップを体感できるお城です。
たとえば石垣の裏にもう一つの門「隠門」があり、目の前の門を攻略しようと夢中になっていると後ろから出てきた敵に奇襲を受けてしまいます。
さらに周囲をぐるりと囲っている天守は「連立式天守」と呼ばれ、360度すべての方向から敵を狙い撃ちにすることが可能。
第15位:五稜郭(北海道)
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北海道の観光名所にもなっている、北海道函館市にある五稜郭です。
函館市は静岡県の下田とともに日本で最初に開港した町。
ベイエリアに建つ赤レンガ倉庫や風情のある西洋建築を楽しめ、中でも五稜郭は代表的な函館市の観光スポットです。
1864年、ほぼ明治に近い幕末に建てられた新しいお城。
1853年ペリー率いる米艦隊が来航したのをきっかけに「もしかしたら欧米が攻めてくるかもしれない」と考えた江戸幕府が、箱館奉行所を外国の攻撃から守るために作ったのが五稜郭なんだそう。
当時のヨーロッパの城郭都市を参考にした独特な五角形の星型デザインは、対外戦争・対外防御用の城専門に作られた圧倒的な難攻不落性を実現しています。
第14位:岡城(大分県)
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大分県竹田市にかつてあった岡城です。
竹田市は城を中心に栄えた江戸時代の風情ある街並みが残る町。
かの有名な音楽家の滝廉太郎は幼少期を岡城があった地域で過ごし、代表作である「荒城の月」はこの岡城をモデルにした曲だとされています。
岡城は阿蘇山から30km離れた場所にあり、9万年前に噴火した阿蘇山の火砕流で運ばれた岩石の上に建っていました。
お城の周りをぐるりと囲む阿蘇山の岩石でできた川底では水ゴケが増殖しやすく、進もうとするとツルツルと足が滑りやすいんだそう。
また阿蘇山の噴火により生まれた岩石「阿蘇溶結凝灰岩」は他の種類の岩よりも加工しやすいため、隙間のない頑丈な石垣を作ることが可能に。
第13位:山中城(静岡県)
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富士山の絶景が望める場所にある静岡県三島市にかつてあった山中城です。
今は城跡になっていますが、当時の山中城は標高約580mの山の中にあり、その面積は東京ドーム約5個分あったんだそう。
天守閣のない土の城で、高台には天守の役割を果たす高台が立っていました。
一度ハマったら抜け出せない蟻地獄のような形状の「障子堀」が落とし穴のようになっていて侵入者を防いでいました。
またあみだくじのように複雑に曲がった畝により、敵が真っすぐに歩けずに上から矢が降ってくる構造に。
さらに赤土で作られたかまぼこ状の土手は非常に滑りやすい作りになっています。
最後に深さ2mの穴の中へ落ちた敵は蟻地獄のように逃げ場を失い、這い上がれないまま鉄砲や弓矢の餌食に。
第12位:韮山城(静岡県)
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静岡県にかつてあった韮山(にらやま)城です。
専門家からは「城の西側には湿地帯が広がり、東側は険しい山岳地帯になっていて、どの方向からも攻めにくい天然の要塞がスゴい」というポイントが高く評価されました。
第11位:忍城(埼玉県)
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埼玉県行田市にある忍(おし)城です。
2012年に公開された映画「のぼうの城」でその名が全国に知れ渡りました。
たった500人で2万もの敵を撃退した忍城の戦いが描かれている映画です。
当時のお城の周りは360度沼地に囲まれていて、沼地に浮かぶ島を橋で繋ぎ合わせたような状態でした。
そこで敵方である石田三成は2万もの大軍を使ってわずか5日で28kmにも及ぶ堤防を建設し、お城に大量の水を流し込む「水攻め」で攻略しようしたと言われています。
しかし普段から水害に備えて本丸を高めに設置していたお城は1か月が経っても完全には沈まず、最後まで攻略できなかったんだとか。
第10位:高取城(奈良県)
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奈良県の中央に位置する高取町にあったお城です。
かつては高取藩2万5千石の城下町として栄え、現在でも風情ある建物が多く残っています。
今は石垣が残るのみですが、明治初期まで山頂に存在していたのが高取城です。
白の漆喰で塗られたその姿がまるで蓮の花のように綺麗だったことから「芙蓉城」とも呼ばれていたんだそう。
どれだけ歩いてもなかなかお城にたどり着かない険しい道のりと絶望的な広さがその難攻不落性を高めています。
さらに敵の侵入を防ぐ大手門の数はなんと33門、防御の固い鉄壁の門と櫓からの攻撃で攻め入る敵を徹底的に防いでいました。
第9位:高天神城(静岡県)
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静岡県掛川市にかつてあった高天神城です。
山の四方に広がった尾根の形が空を舞う鶴のように見えたことから「鶴舞城(かくぶじょう)」とも呼ばれていたんだそう。
本丸に向かう道の途中で立ちふさがる険しすぎる断崖絶壁で敵が一網打尽にされていたと言われています。
さらに世にも珍しい「本丸が2つある城」で、東と西の峰それぞれに本丸が存在していたんだとか。
たとえ西の本丸を攻め落とせたとしてもすぐに東の軍が現れ攻撃、つまり2人の大将を同時に落とすことができなければ苦しい戦いになってしまうという仕組み。
その難攻不落性の高いお城は大物武将たちにも魅力的に映ったそうで、あの武田信玄と徳川家康が奪い合ったこともあるという逸話が残っています。
第8位:会津若松城(福島県)
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1868年に新政府軍と旧幕府軍との間で起こった戊辰戦争で、旧幕府軍の中核として戦った会津藩のお城です。
会津若松城に立て籠った会津藩に対し、新政府軍は約8000発もの砲弾を撃ち込みましたが天守は崩れ落ちることなく耐え抜いたんだそう。
しかし猛攻を受けるお城の姿を見た会津藩の「白虎隊」と呼ばれる少年部隊はお城が陥落したと勘違いし、城の向かいにある飯盛山で自刃してしまうという悲劇も生まれました。
その難攻不落の強さの秘密は2つの防御システム「V」と「Z」です。
大勢の兵を一気に集める「Vシステム」…石段をVの字にする「武者走り」により、多くの兵が素早くスムーズに前線に向かえるように工夫。
最強の防御形態「Zシステム」…城壁を直線ではなくわざとZの形に曲げて作ることで様々な方向からの攻撃が可能、お城に近づく敵を広い範囲から迎え撃つ。
第7位:名古屋城(愛知県)
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日本三名城の一つ、愛知県名古屋市にある名古屋城です。
1610年頃、徳川家康が天下に威厳を示すために作ったと言われる名城。
象徴として有名な金のしゃちほこ、そして約150億円をかけて復元された豪華絢爛な本丸御殿は見所満載です。
本丸の隅には見張りや攻撃を行うための3つの巨大な櫓「隅櫓」、そしてその隅櫓に繋がる「多門櫓」と呼ばれる長屋状の建物があったんだそう。
多門櫓の中に兵を配置することで、敵がどこから攻めても一方的に攻撃されてしまう作りになっています。
しかも多門櫓には武器や食料を保管する倉庫としての役割も担っていました。
さらに大天守に入るためには隣に建つ小天守の中を必ず通らなければならない作りになっており、その道の途中にある4つの門から激しい攻撃を受けてしまうという仕組み。
第6位:姫路城(兵庫県)
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兵庫県姫路市にある姫路城です。
1993年、日本の城の中で初めて世界文化遺産に登録された名城で、真っ白いその見た目から「白鷺城」とも言われています。
姫路城は徳川幕府にとって西側の大名が攻めてきたときの最前線で食い止める役割を担っている大事なお城。
鉄砲や弓を敵に向かって射る仕掛けの「狭間」と言われる穴がお城の至るところに約3000か所も設置されていました。
さらに階段の上が閉められる仕組みになっていて、敵兵が簡単に上がれないようになっていたんだそう。
なんとか上階にたどり着けたとしても、壁の下にある小さな穴「武者隠し」の裏に潜む伏兵が放った鉄砲の弾が降り注ぎます。
第5位:上田城(長野県)
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長野県上田市にある上田城です。
約400年前、戦国最強の武将とも言われる真田幸村の父・昌幸によって造られたお城で、徳川軍3万8000人に攻められた際もわずか3000人の兵で撃退したという逸話が残っています。
東西南北、どの方角からも攻め入る隙を与えない鉄壁の守りとして名を馳せたお城。
高さ約12mの崖、そして川を利用した「尼ヶ淵」と呼ばれる天然の堀、このダブルの防壁が敵の行く手を阻んでいたと言われています。
さらに天然の大きな堀で城の西・南・北を囲み、「東から突破できそう」と敵に思わせることでさらなるトラップに誘い込みます。
先を見通せない道を連続的に作ることで敵をかく乱し、動揺したところを建物の隙間などに隠れていた真田の兵が攻撃するという仕組み。
やっとのことでたどり着いた城門には矢や鉄砲を撃つための穴が櫓にあり、不意打ちの攻撃を受けてしまいます。
第4位:小田原城(神奈川県)
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神奈川県小田原市にある日本100名城の一つ、室町時代に築かれた小田原城です。
上杉謙信率いる軍10万の攻撃に対し、約一か月籠城を耐え抜いて攻略を諦めさせたという逸話が残っている難攻不落のお城。
奥羽最大の戦国大名だった伊達政宗が「とんでもない城だ、言葉が出ない」という意味の言葉を残したことでも有名です。
小田原城には門をくぐろうとした敵の頭上に石を落とす「石落とし」や、「狭間」と言われる弓矢を放つ数々の穴など城を守る様々な仕掛けが。
中でも敵の侵入を防ぐために作られた、城の一番外側にある堀や土塁でできた最強の防御システム「総構(そうがまえ)」。
全長9kmにも及ぶ高さ15mの総構で城下町ごと囲うことで、城内だけでなく城下町への侵入も防いでいました。
第3位:大阪城(大阪府)
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日本三大名城の一つ、大阪のシンボルである大阪城です。
現在は観光名所として大人気のお城ですが、当時攻めようとする側からすれば鉄壁の守りを誇る恐るべきお城でした。
石垣を登ろうとすると32mの高さに追い打ちをかけ、天守閣級の高さを誇る約23mの「三層櫓」11棟が敵の侵入を阻みます。
乾櫓(二層櫓)にある「銃眼(鉄砲狭間)」からは1階に8か所、2階に8か所の計16か所から鉄砲で攻撃できる仕組みになっています。
さらに外堀に面した壁側の足元にある「石落とし」から石垣に向かって石を落とすことで、敵もろとも堀の中に落とし込むトラップが。
ならば大手門へ向かって橋から攻めようと試みると、門の横に建つ「千貫櫓」からの砲撃。
なんとか大手門をくぐり抜けて次の門に向かうと、多門櫓にある「槍落とし」で頭上から槍の雨が降り注ぎます。
他にも高さ約17mある15棟の二層櫓を含めた全32棟もの櫓が城内から目を光らせていました。
しかも徳川秀忠が再築する前の豊臣秀吉が築いた「大坂城」はなんと現在の約4倍以上もの大きさがあったんだとか。
第2位:江戸城(東京都)
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来年2023年、NHK大河ドラマの舞台になる江戸城です。
あらゆる要素が日本一だらけ、すべてが規格外のモンスター城。
東京都千代田区にかつてあったお城で現在は皇居になっています。
その巨大天守の高さは約59mで20階建てのマンションと同じくらいあり、現存する天守の中でもトップの姫路城(45.6m)と比べて約1.3倍も大きかったんだそう。
敵を閉じ込めて3方向から攻撃できる、門と門の通り道を四角く囲った空間「桝形虎口(ますがたこぐち)」は普通のお城と比べて4~5倍もあり、テニスコート約4面分(1041㎡)の大きさ。
これは大型の桝形虎口を13も持っている名古屋城の約3倍で、専門家によると40~50もの桝形虎口があったんだとか。
さらにお城の周りを囲む外堀(現在の外堀通り)も規格外でその総距離なんと約16km、小田原城を囲っていた巨大な外堀「総構」の約1.7倍。
東京ドーム約400個以上がすっぽり入る大きさだったんだそう。
これら規格外の江戸城を徳川家は威信をかけ、家康・秀忠・家光の三代に渡り30年の歳月と莫大な費用をかけて築き上げました。
第1位:熊本城(熊本県)
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約40000城の頂点に立つ難攻不落の最強の城第1位、熊本県熊本市にある熊本城です。
6年前の2016年に発生した熊本地震で深刻な被害を受けましたが、去年天守閣が完全復旧、復興への道を着実に歩んでいます。
築城の名手である加藤清正が築いた通称「武者返し」と言われる高さ20mの高石垣が特徴のお城。
清正が銀杏を多数植えたことから別名「銀杏(ぎんなん)城」とも呼ばれています。
国内最大規模の内戦「西南戦争」では西郷隆盛率いる1万3000人もの攻撃に対し、わずか3300人でおよそ50日間守り切ったことでも有名です。
のちに隆盛は「新政府軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」という意味の言葉を残したと言われています。
その超やりすぎとも言われる史上最強の防衛システムは、たとえば現存する城郭の中で最も長い約242mもの「長塀」。
さらに城の入り口には敵の侵攻を遅らせる「桝形虎口」、その桝形虎口を2つ重ねて築くことで6回も折り曲がらないと城内にたどり着けない構造に。
そして今年6月に震災からの復旧工事に伴う発掘調査を行ったところ、宇土櫓下の高さ21mの石垣のさらに下に、埋まっている約4mの石垣の続きが発見されました。
今でも日本随一の高さを誇る熊本城の石垣は、築城当時はさらに高かったことが判明したんです。
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おわりに
うぉ!我ら熊本県民が誇る熊本城が見事に第1位!嬉しすぎてリアルで泣きそう…。
日本全国のお城好きな皆さん、熊本地震から見事に復活した熊本城の天守閣をぜひ見に来てはいよ!
ここまで読んでいただきありがとうございました。