この記事はそんな疑問に答えます。
高田明さんが教える具体的なテクニックを今すぐ知りたい!という方は、
【第4章:伝わるコミュニケーション】をお読みください。
「北の街から 南の街まで 素敵な夢を 届けます~♪」
きっとあなたも一度は耳にしたことがあるこのフレーズ。
そう、通販会社『ジャパネットたかた』のイメージソングです。
そのジャパネットたかたの元社長、高田明さんの初めての著書『伝えることから始めよう』。
高田さんの生い立ちからジャパネットたかたの社長を引退するまでの半生を、自らの経験から気づいた教訓を交えながら書かれてる本です。
今回は高田明さんの著書『伝えることから始めよう(全5章:271ページ)』について紹介します。
高田明『伝えることから始めよう』
2020年1月22日(水)放送のNHK『クローズアップ現代+』でこの本を元にした“プレゼンの極意”を披露され、視聴者からの大反響を呼びました。
【ついに今夜10時】
「『伝えたつもり』は伝わっていません!!」
という髙田明さん。地元長崎のサッカーチーム再生の原動力にもなった、髙田さんのプレゼン力の秘密に迫ります。
”相手に投げかける” 間のとり方など、真似したくなるワザが満載です。#クロ現プラスhttps://t.co/EGDxXCfarQ pic.twitter.com/Fl7f7Hmu36
— NHK「クローズアップ現代+」公式 (@nhk_kurogen) January 21, 2020
長崎県平戸にある実家の小さなカメラ店からキャリアをスタートさせた高田さん。
彼が起業したジャパネットたかたは、今や生放送のテレビ番組まで持つ“日本一有名な通販会社”にまで成長しました。
「毎日毎日、その日しなけらばならないこと、その日できることを一生懸命頑張ってきた、ただそれだけ」だと、高田さんは言います。
そんな“今を生きてきた”高田さんが、商品の魅力をカメラを通してお客さまに届けるために身につけた『伝えたい思いの伝え方』。
伝えたつもりが、ちっとも伝わっていない——。
そんな悩みに対する答えを分かりやすい言葉で丁寧に教えてくれています。
会社でプレゼンを任された人、送別会であいさつをすることになった人、お客さまに向けてスーパーのPOPを作ろうとしている人…
そんな“誰かに想いを伝えようと頑張る人たち”すべてに読んでほしい一冊です。
第1章:今を生きる
「今を生きる。過去にとらわれない。未来に翻弄されない」
これが高田さんの考える一番の生き方だといいます。
過去に起こったことはどんなに頑張っても変えられない。
そして変化の速いこの時代、わかるはずのない明日のことに頭を悩ませていたら、今が疎かになる。
だからこそ、一生懸命に「今を生きる。」ことこそがすべての悩みを解決し、あなたを成功に導いていってくれるのだと高田さんは言います。
大阪の大学を卒業後に入った会社を25歳で辞めた高田さん。
1974年に故郷である長崎県の平戸に帰り、ご両親が営んでいた写真館『カメラのたかた』の経営を手伝い始めます。
お店でのカメラの販売や、平戸を訪れた観光客を撮影した写真を販売するのが主な仕事。
猫の手も借りたいほどの忙しさで、毎日2~3時間ぐらいの睡眠時間だったのだそう。
そこで高田さんが実践したことは
・実際にカメラを手に取り、使い方を丁寧にお客さまに説明する
・撮影するときに顔を向けてくれない人には何度でも呼びかける
・ホテルでの販売で売れ残った写真を、観光地で売ると買ってくれる
などなど。
それらの経験から高田さんが学んだのは「目の前のことを一生懸命にやっていれば、自然と次の課題が見えてくる」ということ。
毎日一生懸命に今を生きていれば、必ずジャンプアップできる瞬間がやってくるのだと。
また、観光写真を撮影し販売する毎日の中で、どんな職種や年齢や地域の人たちによく売れるのかといったマーケティングの要素についても自然と学んだといいます。
ラジオショッピングやテレビショッピングをやる上で、それらの経験がとても力になったそうです。
その後、27歳のときに結婚。
人生のパートナーとしてだけでなく仕事のパートナーとして、二人三脚で歩み始めます。
それからほどなくして、長崎県北部の松浦市で『カメラのたかた』の支店を夫婦で任されることに。
観光ホテルのない松浦市では撮影の仕事はほとんどなかったそうで、代わりに建設現場を回って撮影済みのフィルムを集めたのだそう。
それ以外にも他の島への出張販売やチラシ配り、海外への団体旅行の写真添乗の仕事などいろいろなものにチャレンジ。
『できない理由ではなくて、できる理由を探そう』と頑張った結果、55万円だった月商が1年後には300万円にまで伸ばすことに成功。
松浦支店での1年間の勤務を終えて平戸に戻った後、あのテレビショッピングのスタート地点となる佐世保に支店を構えることになります。
価格競争で優位に立つ大手と戦うために、朝にフィルムを出せばその日の夕方にはお客さまにプリントを渡せるというスピードを売りにしたサービスで対抗します。
そして1986年、高田さんが37歳のときに『株式会社たかた』を設立して独立。
お店の宣伝にラジオを使ったりソニーのハンディカムの販売などカメラ以外の商品も幅広く扱うようになり、カメラ店から家電量販店へと急成長を果たします。
いつも目の前のこと、今やるべきことに全身全霊を注いできたからこそできたのだと。
高田さんが「今を生きる。」ことの大切さを身に染みて感じたのが、この頃だったそうです。
第2章:どんなこともつながっている
高田さんいわく「長い人生の中ではどんなことでもどこかでつながっている」といいます。
音声データ再生機能付きの電子辞書をジャパネットたかたで紹介した際、音声に合わせて学生時代に暗記していたキング牧師の演説の一説を暗唱したところ注文が殺到。
30分番組の1回の放送で、なんと1億円近くの売り上げを達成したんだとか!
高田さんは1948年に4人兄妹の次男として平戸で生まれます。
映画『ALLWAYS 三丁目夕日』の雰囲気のような人情味あふれる町で育ったのだそう。
高田さんが小学校低学年の頃に、ご両親が写真館をスタート。
中学生になると叔父さんの影響で英語に興味を持ち、英語の塾に通い始めます。
高校では仲間たちと1日7時間や8時間も勉強したそうです。
ただ、唯一国語がとても苦手だったそうで、第一志望だった国立の長崎大学経済学部に落ちてしまいます。
そこで英語が上手い叔父さんが卒業した私立の大阪経済大学へ進学。
大学時代をひとことで言うと、英語とパチンコと麻雀の日々だったそうです。
ESSという英語のクラブに入部し、英字新聞を読んだり英語で討論したり、学園祭の英語劇で主演を演じたり。
ベトナム人の留学生に感化されて、フランス語の勉強もしていたのだそう。
そして夜になると麻雀三昧、72時間ぶっ続けでやったこともあったんだとか(笑)
就職活動はほとんどせず、アルバイトで入った京都のネジ製造機械メーカーの会社にそのまま入社。
英語力を買われて貿易部に配属され、8ヶ月間駐在したドイツを拠点にヨーロッパ各国を飛び回ります。
移動中バスの中で寝ていたとき、当時の社長から「高田君、バスの中から景色を眺めることも、人生の勉強だよ」と言われ、それから自分も社員に対して同じことを言うようになったのだそう。
しかし、ヨーロッパ駐在から帰国して1年もしないうちに、高田さんはその京都の会社を辞めてしまいます。
会社を辞めたあとも、ジャパネットたかたを始めてから講演を依頼されたりと、社長とはとてもいい関係が続いたそうです。
高田さんが会社を辞めた理由は、高校時代の親友から一緒に仕事をしないかと誘われたからだそう。
ただし、勢いだけで始めた事業が上手くいくはずもなく、すぐにお金が底をつきます。
生きていくために、友達は翻訳関係の仕事を始め、25歳だった高田さんは実家のある平戸へ帰ることを決め、ご両親の写真館の手伝いを始めることになります。
それでも、流れに身を任せて、与えられた環境に順応して常に全力を尽くすという自分の生き方に対して、劣等感を持ったことは一度もないそうです。
変えられない過去を悔やんで、未来を悲観して生きていても仕方がない、それがこの経験で高田さんが学んだことでした。
「好きなことを一生懸命にやり続けて入れば、今を生きていれば、人生は絶対に拓けるようになっている」と。
第3章:できる理由を考える
1990年、『株式会社たかた』の社長だった高田さんはラジオショッピングをスタートさせます。
ラジオで5分間しゃべっただけで1台2万円のカメラが50台も売れ、ラジオの影響力にとても驚いたそうです。
そこで、長崎だけでなく全国のラジオ放送局でやれないかと考えます。
ラジオ放送局の関係者の人たちの力を借り、九州だけでなく四国や中国でもラジオショッピングを開始。
1994年にはラジオショッピングの本格的なネットワーク作りに成功します。
年商も4年間で27億7千万円から43億1千万円に倍増。
「商品が見えないラジオの通販では1万円以上のものは売れない」というのが常識だった時代に、ビデオカメラやパソコンなどの10万円を超える商品をどんどん紹介。
半内店ではまったく売れなかった商品がラジオショッピングで飛ぶように売れ、メーカーが驚いたほどだったんだとか。
このときの経験から、商品の魅力をしっかりと伝えることさえできたら、どんな商品でも売ることができるという確信を持ったのだそう。
業界の常識にとらわれず、偏見を持たずに果敢にチャレンジし続けることが、いかに大切かということですよね。
そして1994年5月、通販に特化した経営にシフトすることを決断します。
娘さんが神戸の中学校への進学を希望したときも、仕事も娘さんの夢も犠牲にすることなく、できない理由を考えるのではなくどうしたらできるか考える。
そういう気持ちで、できることはなんでもチャレンジしたそうです。
「金利・手数料ジャパネット負担!」
このフレーズが誕生したのもこの頃。
高額の商品を買うときに一括では手が届かない、でも金利を払うことには抵抗がある。
そういった理由で購入を諦めているかもしれないお客さまのことを考え、金利・手数料を会社で負担するサービスを始めたのだそう。
1993年には『ジャパネットたかた』という名前やロゴマーク、そしてあの『ジャパネット♪ジャパネット♪』で有名なテーマソングも誕生。
そして1994年、ついにテレビショッピングに参入し、ジャパネットたかたはさらに成長していきます。
高齢者向けにカタログ通販や新聞の折り込みチラシにも力を入れ始め、紙媒体にも本格参入。
そういった数々のチャレンジの中で高田さんが気付いたこと、それは「やらなかった失敗はあっても、一生懸命にやった失敗はない」ということ。
一生懸命やっても結果が出なかったときは、失敗ではなく「試練」と呼ぶようにしているのだそう。
2000年にはインターネットにも進出し、オンラインショッピングも開始。
時代の流れに敏感になり、常に自己更新を続けることが大切だと高田さんは言います。
その後、2001年には佐世保に自前のスタジオを建設し、テレビショッピングの生放送もスタートさせます。
毎回タレントさんを呼んでいたのを、社長である高田さん一人でしゃべり通す『ジャパネットスタイル』も確立。
それまで制作会社に番組を依頼していた制作を、製作費の節約と放送までのスピードを優先した結果でした。
しかしここで猛反対に会います。
素人だけでできるわけがない、放送事故が起こったらどうするのかと。
しかし、10人の社員を東京に研修に送り出し、さらに派遣会社に依頼して10人ほどのカメラマンや音声さんに常駐してもらうことでなんとか自前でやる体制を作っていきます。
高田さんが生放送にこだわったのは、生放送ならではの臨場感がお客さまの共感につながり、それが売り上げにも反映することを見抜いていたから。
2007年に高知空港でANAの飛行機が胴体着陸したことがありました。
着陸は一人の怪我人も出すことなく見事に成功、それがちょうど生放送の数十秒前だったそう。
「皆さん、見てましたか?飛行機、良かったですねぇ。私も嬉しかった。思わずスタジオで拍手しちゃいました」
生放送は視聴者とその瞬間の感動を共有できる、それが高田さんが最もこだわった部分。
できない理由に納得することなく、可能性を追い続けたからこそたどり着けた場所でした。
第4章:伝わるコミュニケーション
人に何かを伝えるときに大切なのは
・パッション
・スキル(テクニック)
この3つだと高田さんは言います。
まず、ミッションとは「なぜ、何のために伝えるのか」。
伝えるということがある前に、伝えたいのには理由があります。
例えば、ビジネスは「商品を通してお客さまに価値を提供したいという強い想い」。
モノを売るときに大切なことは、お金儲けを第一の目的にしてはいけない、ということ。
高田さんはこれを、“感動を届ける”と表現しています。
次に、パッションとは「伝えたいという熱い想い」。
コミュニケーションで最も大事なことは、「伝えること」ではなくて「伝わること」。
そのために最も大切なのは、売っている本人が商品やサービスに絶対の自信を持っていること。
普段は声が低い高田さんですが、伝えたい気持ちが強くなると自然とテンションが上がるといいます。
本気で紹介したいと思えるものを選ぶ、だからテンションも高まる、だから伝わる。
そのためには、普段から自分の想いを自分の言葉で表現することに慣れておくことが大切だと。
それが、長い経験の中で高田さんが学んだことでした。
最後に、スキル(テクニック)とはその名の通り「技量・技術」のこと。
高田さんが何よりも心掛けてきたのは、「上手くではなく、わかりやすく伝える」ということ。
難しい専門用語は使わず、だれにでもわかる言葉で伝えることが大切だと。
そして、それと同じくらい心掛けてきたのが、「面白く伝える」ということ。
「この商品によって生活はどう変わるのか」ということが具体的に表現できたとき、番組が楽しい・面白いと感じていただけたと実感したのだそう。
伝えるための具体的なテクニックとして、他にも高田さんは以下のことを挙げています。
→ポイントを絞って導入部分で相手の心をつかむ
→伝える相手を意識して、その気持ちを理解する
→メラビアンの法則:メッセージが言葉(言語)によって伝わるのはたったの7%
→扱う商品によって表現方法を変えてみる
→業界の常識を鵜呑みにせず、あらゆる可能性を探ってみる
→同じ事ばかり繰り返していると飽きられる
その上で「どんなに素晴らしいものも、伝えなければ、ないのと同じ」と、高田さんは強く主張します。
「好き、ごめんね、ありがとう」などの気持ちも、伝えなければ、相手に伝われなければ、ないのと同じ。
だからこそ、伝えること、伝わることは大切なのだと。
第5章:自己更新
順調に右肩上がりの成長を続けていた、ジャパネットたかた。
しかし2004年3月、51万人分の顧客情報流出事件を起こしてしまいます。
社長だった高田さんは、事実がはっきりとわかるまで、すべての営業を停止することを即断。
ご迷惑をおかけしてしまったお客さまに対する姿勢を明確にしなければいけない、という思いからでした。
警察の捜査には全面的に協力し、男性元社員2人が逮捕されます。
再発防止策として社内に監視カメラを設置し、社屋の出入り口で人の出入りを管理するシステムを導入します。
この出来事から高田さんが学んだこと、それは「何より大切なのはお客さまからの信頼である」ということでした。
その後、ジャパネットたかたはそれまで以上の成長を果たし、2010年度には1759億円という過去最高の売上高を達成します。
『家電エコポイント制度』と『地上デジタル放送完全移行』が追い風となって、地デジ対応テレビの売上が急激に伸びた結果でした。
しかし、その反動から2011年度・2012年度と、売上高・経常利益ともに大幅に落としてしまうことに。
それでも「逆境にあって守りに入らず、攻めの姿勢で、今できる最高の努力をする」という信念のもと、六本木に東京オフィスを開設。
2013年度を勝負の年と位置づけ、過去最高益の更新という目標を掲げ、それが達成できなけらば社長を退任すると社内に宣言します。
その目的は社長としての覚悟を示すことで、社員に危機感を持ってもらうためでした。
そして、原点回帰を掲げて社員同士で切磋琢磨した結果、2013年度は見事に過去最高益を達成。
高田さんは自身の経営方針を「長期的なビジョンを持たない積み上げ経営」だといいます。
5年先どころか半年先の目標を立てることすらしないのだそう。
軸足を置いていたのは「今」。
今できることに最善を尽くしていると、そこから次のステップが見えてくる。
そのスモールステップを繰り返すことで、ここまで成長を続けてきたのだと。
例えば「10年後に売上を10倍にする」などといったあまりにも長期の高い目標を掲げてしまうと、具体的に今、何をしたらいいのかわからなくなる。
数値目標を掲げてしまうと、その数字を達成しようとして無理をして価格を安く設定したり、品質を落としてしまったりする。
それでは本末転倒だというのが高田さんの考えでした。
2013年度の一度の例外を除いて、ジャパネットたかたの来年の目標は常に「前年を下回らない」ということだけなのだそうです。
ただし、自分を高めるという意識は常にしっかり持っていなければならないといいます。
一流を目指すためには、やろうとする前からできないと決めつけず、常に自己更新を続けていかなければならないと。
そのためには、楽天的である・ポジティブである・シンプルに考える、これらの考え方が大切だと高田さんは言います。
他人と自分を比べない、他社と自社とを比較しない、比べるのは常に自分自身の過去。
高田さんが目指してきたのは、そんな“オンリーワン企業”でした。
・目標を設定しない
・自己更新を続ける
・他社と比較しない
この3つが、ジャパネットたかたを経営していく上での基本的な考え方なのだそうです。
2015年1月、高田さんは66歳で社長を退任します。
後継者には長男の旭人さんを指名。
ジャパネットたかたを100年続く企業に育てるため、自身がまだいろいろなアドバイスができるうちに身を引いたのです。
退任後に『A and Live』という会社を立ち上げ、講演などで日本全国を飛び回っている高田さん。
そして、ギネスの男性長寿記録へのチャレンジや、ゴルフで90を切るという目標を周りに公言。
新たな夢を抱いて第二の人生をスタートさせています。
「たとえうまくいかなかったとしても諦めない、投げ出さない。最初の目標を達成できなかったら、途中で目標を変えればいい」
それが毎日の生活を楽しむための、高田さんなりのモットーなのだそう。
高田さんが本格的にテレビショッピングを始めたのは45歳のとき。
「人生、何を始めるにも遅すぎることはない。夢持ち続け日々精進」
おわりに
高田明さんがジャパネットたかたを通して、僕の故郷で発生した熊本地震や東日本大震災に対して多くの支援や義援金を送っておられたこと。
この本を読んで初めて知りました(泣)
ブログやYouTubeをやっている人、これからやろうとしている人にも役立つおススメ本です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
「想いがきちんと相手に伝わるには、どうすればいいんだろう?」